「小説」を読むのはなぜかを考える

2024/07/25

Journaling 読書

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 こんにちは。がずーでございます。

 突然ですが、僕は読書がそこそこ好きです。というより、知らないことを知るのが好きというのが正しいかもしれません。知らないことを知るための手段として本を読んでいると言ってもいいかもしれません。

 本といっても様々なジャンルがあります。その中でも今回は「小説」について考えてみたことをつれづれに書きます。

小説とは何か

 ひとまずお手軽に辞書的な意味をもってきます。

しょう‐せつ〔セウ‐〕【小説】
 《坪内逍遥がnovelに当てた訳語》文学の一形式。特に近代文学の一ジャンルで、戯曲に対していう。作者の構想のもとに、作中の人物・事件などを通して、現代の、または理想の人間や社会の姿などを、興味ある虚構の物語として散文体で表現した作品。 (デジタル大辞泉より)

 あれこれ書いていますが、個人的には「作者ワールドが展開され、文字として表現されている作品」と理解しています。

 で、そう考えた時に、小説を読む人たちが「小説」に何を求めているのか(=小説を読む理由)が気になります。

なぜ「小説」を読むのか

 早速本題のような見出しをつけましたが、実際どうなのかというところを個人的に考えてみました。

 ※ここから先は自分の考えをただ書き連ねただけで、学術的なあれこれは参考にしていませんのでご容赦下さい…。

「作者ワールド」に没頭できる


 「フィクション(架空)」「ノンフィクション(事実)」や、内容のジャンルなどによって細かく分かれるとは思いますが、突き詰めると、作者が表現したいと思い文字に起こした内容がまとめられたものを読むわけです。

 作者の作り上げた世界観に飛び込み、情景や人物の感情などの表現に共感、感嘆、心を動かされるなどとというような体験を得られるわけです。

知らない表現を理解しようとする


 作者は、構想していることを正しく表現するために様々な表現技法や言葉を駆使します。

 稚拙な表現で恥ずかしい限りですが、例えば《乾ききった心に一滴落ちる音がした》という文字から何を想像しますか。

 自分で表現しておいて自分で解釈するのも大変恥ずかしいですが、僕ならこう思います。

・「心が渇く」とはどういう状態?
・なぜ心が乾いた?
・何が一滴落ちたのか
(血か?涙か?ただの水か?点滴?、点滴ならもしかしてその人は病的な何かをもっている?、もしかして闇に堕ちる意味の表現?)
・一滴落ちた音はどんな音?
(乾いているからポチャンみたいな音ではなさそう)
・いい意味?悪い意味?

 この表現を理解するために物語を振り返ったり、他の使われ方をしている作品を思い返したり、頭の中で想像したり…色々なことを試行錯誤して理解しようとします。その過程で知識欲が刺激されるということもあるかもしれませんね。


感情表現の理解から、共感する力が高まる(広がる)

 小説を読むとき、よく「登場人物視点で物語を読んでいく」といった楽しみ方をプッシュしているサイトをよく見かけます。学校教育でも、感情表現のところに線を引っ張って「なぜ●●は悲しい気持ちになったのか、30字以内で書きなさい」みたいな形でテストで出題されたりします。

 そういうわけで、実は子どもの頃から「こうやって読み解くんだよ~」と教わるが故に、登場人物視点で読むということが一種の読み方として確立していると思います。

 では、なぜそのような読み方を薦められてきたのでしょうか…?

 個人的な見解として言わせれば、「感情の表現が豊かに、複数表現されているから」ではないかと思っています。

 ヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』で登場人物のエーミールの放った「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」という言葉から、呆れ・怒り・侮辱・軽蔑・皮肉…といった負の感情の機微を学びました。


 中島敦の『山月記』からは、「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」という、これまた難解かつ複雑な感情表現と、どのような心持であるかを学んだ気がします。

 というように、感情表現が豊かな小説(物語)ですが、このような記述から様々な感情を会得して行くのだと思います。そして、これらが実生活の中でも自分の感情や相対する人の感情として感じ、読み取り、対話・交流に生かされるという、大きな糧となっているのだと思います。

小説を読むのに「果て」はあるか


 このようにいくつものメリットがある小説ですが、毎回そのようなメリットを意識して読むかというと、そうでもないかなと思います。特に自分のような人間は、必ず目的・メリットなどのプラスの動機がないと全く動きません。

 で、実はここ最近あまり小説を読まなくなってしまいました。なぜだろうか…?

 考えてみると、「小説を読むことで得られるものが相対的に少なくなってきたから」かもしれません。

 特に小説の中(=作者の世界観)に飛び込んで堪能したいわけではないですし、生きる上で苦にならないくらいには感情を表現できるし、相手の感情を汲み取ることもできるようになりました。知識欲は刺激されるような言葉もだいぶ減ったと思います。

 要するに、作者の描く世界観そのものを楽しむことに重きを置いていない僕は、小説の面白さを見いだせずにいるということだと思います。そういう意味では、割と息つくところまで行きついたなぁ…と思ってしまっています。

 誤解の無いように言っておきますが、僕自身が天才だからとか、博識だからとか、そういうことを言いたいのではなく、個人的に十分満たされてしまって+αを得ようと思えない状態なだけです。

さいごに

 最初にも書きましたが、僕は「知らないことを知るのが好き」であり、「知らないことを知るための手段として本を読んでいる」のだと思います。そういう意味では、「小説」という領域からはある程度知識を吸い切ってしまったのではないかと自身の中で理解しています。

 それに比べて、その人の思ったことや実体験がダイレクトに書かれているような「実用書」(?)にがっつり惹かれています。時間があればそちらについても書いてみたいですね。

 もしも、小説について楽しく読む読み方、目的を持って読んでいる方がいればその内容を教えてください!ぜひ参考にさせていただきたいです。

 ということで、以上、がずーでした。

2024/7/25 がずー



自己紹介

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がずー

気ままに思ったことを不定期に更新する、一般男性会社員です。
好きなことや、思ったことをぽつぽつ投稿して、共感できる仲間が増えたらいいなぁという心持ち。
なにとぞ、よしなに。

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